赤・黒・黄色日記

人生はワセダラグビーと阪神タイガースと居酒屋と旅と温泉とカメラとイタリア車。基本日々の食べ歩き飲み歩きを記録してます。

2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震


今までの人生で体験した初めての大地震でした。


以下はこの24時間の備忘録。


3月11日 14:45頃 オフィスにて。15分後に外出予定というところで、激しい揺れに遭遇。あまりに長く激しい揺れに、会社で初めて自分の机の中に潜り込む。


15:25頃。再び激しい揺れに、またも机の中に潜り込む。耐震設計のビルとはいえ、高層階のため、左右にぐらぐらと揺れるのが気持ち悪い。船酔いしたような気分。遊園地のバイキングに長時間乗っているような感覚。


テレビをつけると、いっせいに地震報道。岩手県釜石、宮城県仙台市若林区の映像を見て戦慄を覚える。


自宅に電話すると、奇跡的につながる。家族は無事とのこと。まずは一安心。妹にも連絡つく。無事とのこと。ただし、両親の安否がわからず。


オフィスの廊下に出ると、非常シャッターが下ろされている。トイレまで歩く間も、ミシミシ言う音が不気味。館内放送でエレベーターが停止、非常階段も現在確認中とのこと。


窓の外を見ると、大勢の人が路上に。だんだんと空が暗くなってくる。


17:00頃。依然として両親の安否がわからず。かなり不安。余震が続く。地震で揺れてるのか、自分が揺れてるのか、よくわからない気分。


19:00頃。首都圏の鉄道は依然として運転見合せ。オフィスから5km以内に自宅のある人以外はオフィス内待機を命じられる。


同僚が下のコンビニまで食料調達に(感謝!!!)。徒歩で18階上り下りはかなりハードだったのこと。調達してくれたカップヌードルが美味い!!!


20:30頃。ようやく両親の安否が確認できる。無事とのこと。あ〜、よかった。力が抜けた。


21:00過ぎ。地下鉄が運転再開。自力で帰宅できる人は距離にかかわらず帰宅可能という指示。ただし、2次災害の恐れもあるため、会社内の滞在が望ましいとのこと。


仕事をしつつも集中できず。PCでユーストリームFACEBOOKツイッターで状況確認。有線電話と携帯電話が繋がらない中、インターネットのありがたみを痛感。


22:30頃。同僚が帰宅し始める。徒歩と電車の併用で行くそうだ。


23:00過ぎ。母と連絡でき、都内の実家に向かうことにした。東京メトロ千代田線と都営地下鉄が動いていることにかける。メトロマップをにらめっこ。まあ、最悪実家まで歩くことは覚悟だな。23:30頃、18階から下まで階段で降りる。長い!


千代田線は思ったよりも空いていた。ふい〜。ただし、乗り換えた都営地下鉄のホームは人だかり…電車に乗れるか不安がよぎる。


あまりの混雑振りに4本電車に乗れず、5本目でなんとか車内へ。待つこと40-50分ぐらいだろうか。異常な混雑振り。車内が殺気立っている。我慢するしかないな。


なんとか最寄り駅までたどり着く。駅前のコンビニを見ると、おにぎり、パン、惣菜は全部売り切れ…ハイボールを買う。


1:30頃。徒歩で実家に到着。ほっと一安心。風呂に入れる幸せをかみ締める。


興奮しているせいか、眠れない。地震関連ニュースを見ながら布団に横になる。


3月12日。朝方、都内で足止めされていた父が帰宅。眠い。ニュースを見ながらうつらうつら。


12:00過ぎ。実家を出て自宅へ向かう。JRはぼちぼち運転再開しているものの、かなりの遅れ。私鉄と地下鉄は待つものの比較的すんなり乗れた。東急で行こうか迷ったがJRに。


やはりJRは鬼門。東海道線は運転再開したものの運転見合せ中。横須賀線はまったく動かず。昼過ぎなのにラッシュアワー状態の京浜東北線に乗車。なんだかなあ…


15:30過ぎ。JRも途中までしか行かず、地下鉄に乗り換えたりしながら、途中買い物しつつようやく帰宅。30時間ぶりに家族と再開。ほっと一安心。力が抜けた。現在に至る。


さて、これからのことだが、とにかく「平常心」を保つことが大事だな、と。


自分がやるべきこと。


・節電する
・出来る限り冷静に行動する
・情報発信するのは、体験した「事実」のみに徹する
・情報に踊らされない
チェーンメールや伝聞推定、流言に加担しない


その後で、被災地の方々に対し、自分が何か役立てることがあるのか、を改めて考え、実践していきたいと思います。



今回は、フェースブックツイッターユーストリームに勇気付けられたし、助けられました。的確な情報と励ましを送ってくれた友人知人、ツイッター上で有益な情報を送ってくれた方々に感謝です。



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